「渋カジが、わたしを作った~」を読んだ

「渋カジが、わたしを作った。 団塊ジュニア&渋谷発 ストリート・ファッションの歴史と変遷」が面白かった。
Kindle版で読んだ。

渋カジが、わたしを作った。 団塊ジュニア&渋谷発 ストリート・ファッションの歴史と変遷

渋カジが、わたしを作った。 団塊ジュニア&渋谷発 ストリート・ファッションの歴史と変遷

目次
第1章 渋カジ誕生前夜
第2章 渋カジの誕生から終焉まで
第3章 渋カジとチームの関係
第4章 それぞれの渋カジ物語
第5章 渋カジ・ショップ・マップ
第6章 団塊ジュニアは“七転び八起き世代”である

第1章は渋カジ前史。男性ファッション誌とDCブランド・インポートショップの関係。

第2章がファッション雑誌の記事とインタビューをもとにした渋カジの歴史と変遷。この本のタイトルそのものの内容。本書では渋カジの流行について、85~87年をアメカジ期、88~89年を渋カジ期、90~91年をキレカジ、ハードアメカジ期、91~92年を終焉期と細分している。

第3章は章のタイトル通り「渋カジとチームの関係」

第4章は渋カジ関係者へのインタビュー。

第5章は当時の渋カジショップがどこにあってどんな店だったか。当時を知っていればかなり懐かしい。

第6章は蛇足。

全体的に面白かったし、他の人にインタビューすればまた違う歴史が書かれた可能性はあるもののこの本が"渋谷での渋カジ"の歴史と変遷を丁寧に追っているとは言っていいと思う。

また男性ファッション誌とDCブランドとの関係を示唆した上で男性ファッション誌が渋谷のストリートファッションを取り上げるのが大きく遅れていた(ここまでは自分もわかっていた)一方で、MCシスターなど女子ティーン向け雑誌の"かっこいい男子高校生"記事で渋谷のストリートファッションをかなり早い段階から取り上げていた点の指摘(本書Kindle位置No.417~)は興味深かった。

ただ渋カジが全国に波及した過程については疑問が残る。この本での説明は大雑把には

  1. チェックメイトが89年1月号で男性ファッション誌初の「渋カジ」特集。
  2. ポパイが89年4月19日号、89年6月21日号で渋カジ特集。
  3. 特にポパイの「2冊の影響力は凄まじかった。この特集が、それまで東京都内の限定的な流行だった渋カジを、全国に普及させる役割を果たしたのだ」(本書Kindle位置No.635より引用)
  4. 「89年は首都圏中心の流行だった」(本書Kindle位置No.652)、「89年の時点では、地方都市に渋カジの風は吹いていなかった」(本書Kindle位置No.659)

と雑誌の役割を大きく捉えているとともに、とはいっても89年では首都圏を除く地方へはまだ波及していなかったとしている。しかしそのポパイ89年6月21日号p.54にテレビに出演している木梨憲武B-21スペシャル内村光良真木蔵人宮沢りえ浅野ゆう子が渋カジだと書いてあるようにテレビの方が雑誌より早く全国に影響を与えていたのではないかと思う。特に浅野ゆう子はターゲットが既に上の年齢層にも広がっている段階であることを示唆している。

それにテレビだけではなく東京で買い付けて地方で売る地方のセレクトショップの影響もあっただろうし、ジーンズメイトの小規模地方版のような店でMA-1のときのようにコピー商品も売られていただろうし、この著者の取材方法では明らかにならないところが多く残っていると思う。

ところで著者がチェックメイト89年1月号を男性ファッション誌初の特集とは書いているものの影響力があったとは書いていないのは正しいと思う。当時のチェックメイトは独特の垢抜けなさがあってこの渋カジ特集も同様。ポパイと比べるとこなれ感が全然違う。このチェックメイトの特集を見て渋カジにあこがれることは少なかったと思う。

まずチェックメイト89年1月号の渋カジ特集トップページ(p.14)の写真。垢抜けない感じ。そもそもこれを渋カジといっていいものか?
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一方、下がポパイ89年6月21日号の渋カジ特集トップページ(p.23)の写真。チェックメイトと違ってこなれてる。
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ポパイについて筆者の「今見てもワクワクしてしまう魅力的な紙面構成」(本書Kindle位置No.643)という意見はもっともだと思うけど、ポパイの紙面は情報量(紹介商品数)はそれほど多くないことも影響力は限定的だったと思う理由。


あともう一つ、著者自身の目線が一般の渋カジ好き男子のものであるのだけれど、当時の一般の渋カジ好きの女子や一般の渋カジ男子の彼女(渋カジ男子の彼女がボディコン系という組み合わせも普通だった)あたりの目線も欲しかった。渋カジは紺ブレの頃を除けば主に男性ファッションとしての流行だったとはいえいつの時代も女子受けというのは大事なので。